創世記 第24,25章研究解読



第24章12〜14節 第24章19節 第24章58節 第24章67節
第25章8節 第25章16節 第25章21節 第25章27〜28節 第25章30節 第25章32節



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1999/ 1/ 7  序文、第25章8節、16節、21節、27〜28節、30節、32節 UP
1999/ 1/ 6  第24章12〜14節、19節、58節、67節 UP


 創世記とモーセの書の年代に関する情報からは、イサクが生まれたのは、およそ紀元前1882年頃のことと推測されています。イサクがリベカと結婚したのは40歳の時で、エサウヤコブはその20年後の1822年頃に生まれているので、ヤコブがパランアダム(ハラン)へ逃げたのは、おそらく紀元前1800年頃のことのようです。ということは、12人の息子たちは、紀元前1782年頃から1768年頃までの間に産まれたことになります。アダム以来の族長の系譜をだどれば、アブラハムは20代目で、イサクは21代目、ヤコブは22代目です。

 現在まで伝わる資料によれば、イサクは生涯ほぼ直径180キロの円の範囲内で囲まれた地域の中で生活していて、この円の北端はエルサレムで、ここにはアブラハムが連れて行っており、活動の大部分は南イスラエルのネゲブと呼ばれる地方でした。一方ヤコブは、はるかに広い範囲を旅しています。北はユーフラテス川北域のハランから、南は、晩年息子のヨセフが養ってくれた舞台であるエジプトにまで及んでいます。

 ネゲブ地方は、その乾燥した気候が農業に適しているらしく、牧人であったイサクとその大家族は、そこで十分な牧草と生活に必要な糧を入手できたものと思われています。しかしそれでもイサクの家族は、飢饉のために移動しなければならず、以来、幾世紀にもわたる戦争や放置、そのほかの自然の要因が重なって、ネゲブの土地は不毛の地となり、その範囲はイスラエルのほぼ半分にも及んでいます。近年イスラエルはネゲブを再度豊かな地域に変えてきていると聞いています。
 主にイサクはネゲブの3つの地域で生活していました。ベエル・ラハイ・ロイとゲラルとベエルシバです。父アブラハムと同様にイサクもたくさんの井戸を掘っていて、イサクの部族と家畜の群れも、水の見つかりそうな所を移動しています。イサクは平和を愛する人であり、聖書の記述を見る限り、自分の掘った井戸のことで争うより、新しい井戸を掘ることを選ぶような人なので、神はイサクを大いに栄えさせています。

 ゲラルはエルサレムの西南、ペリシテ人の地にあり、ベエルシバはゲラルの東南に位置していて、死海の南端から西方56km程の所にあります。イサクの一族はベエルシバの町を築いていて、以来この場所は常にイサクの名前と結びつけて語り継がれています。ベエルシバはエルサレムの南方80kmの所にあり、旧約聖書の時代には南朝ユダ王国の南の境界線に位置していました。パダンアラム(ハラン)へ逃げる時に、ヤコブはベテルで注目すべき示現を受けています。このベテルはかつて、ヤコブの父祖アブラハムが祭壇を築いた所であると言われていて、エルサレムの北18kmに位置しており、後にベテルはイスラエル北王国の多神教の宗教の中心地となっています。




第24章12〜14節

12節 彼は言った、「主人アブラハムの神、主よ、どうか、きょう、わたしにしあわせを授け、主人アブラハムに恵みを施して下さい。
13節 わたしは泉のそばに立っています。町の人々の娘たちが水をくみに出てきたとき、
14節 娘に向かって、『お願いです、あなたの水がめを傾けてわたしに飲ませてください』と言い、娘が答えて、『お飲みください。あなたのらくだにも飲ませましょう』と言ったなら、その者こそ、あなたがしもべイサクのために定められた者ということにして下さい。わたしはこれによって、あなたがわたしの主人に恵みを施されることを知りましょう。


 ここでは、アブラハムと同様にしもべも大いなる信仰の持ち主だったことがわかります。アブラハムはこのしもべに、その用向きは主の戒めであると言っており、それゆえにこのしもべは、著しく困難な仕事に直面した時も、神に助けを求めています。ただ単に問題を解決してくれるように神に願ったのではなく、自分で考えてみた解決策を神の前に提示して、了承を求めています。




第24章19節

19節 飲ませ終わって、彼女は言った、「あなたのらくだもみな飲み終わるまで、わたしは水をくみましょう」。


 のどの渇いたらくだがどれ程水を飲めるかを考えた場合、10頭のらくだのために手作業で水を汲み続けるということが、女性のリベカにとってどれ程大変な労力を要するかは簡単に想像できます。リベカは美しかっただけでなく、喜んで働く人であり、仕えることのできる人であったことがわかります。




第24章58節

58節 彼らはリベカを呼んで言った、「あなたはこの人と一緒に行きますか」。彼女は言った、「行きます」。


 この節はリベカの信仰がいかに深かったかを教えています。若い女性にとって、自分の家を離れ、まるで見識のない新しい国へ旅をし、まだ会ったことのない男性と結婚するということはどれ程難しいことかよくわかります。できるだけ長く自分の家族と一緒にいたいと願ったと思われますが、しかしリベカは選択をまかされた時に、ただ一言「行きます」と答えただけでした。




第24章67節

67節 イサクはリベカを天幕に連れて行き、リベカをめとって妻とし、彼女を愛した。こうしてイサクは母の死後、慰めを得た。


 リベカの信仰と美しさや、アブラハムのしもべがいかに神の手によって、リベカのもとへ導かれていったということを考える時、イサクは「彼女を愛した」と書かれていても、驚くことではないように感じます。




第25章8節

8節 アブラハムは高齢に達し、老人となり、年が満ちて息絶え、死んでその民に加えられた。


 初期の族長たちは、アダム以来アブラハムに至るまで教えられてきた福音の原則について、はっきりとした知識を持っていたと考えられます。「その民に加えられた」という表現も、族長たちが福音の原則を持っていた証拠のひとつです。この表現はすでにこの世を去ってしまった友と天において再会するということを意味しています。それゆえ、この表現は、人が死後もそのまま存在し続けるということを信じる信仰が前提になっていなければなりません。神の約束によって何となく予感されていたことが、族長たちの心の中では確固たる信仰にまで高められていたということです。(ヘブル第11章13節)

 ここで使われているシェオルという言葉は、人が死後に行く霊の世界の事で、霊界を指しているヘブライ語です。ヘブル人は、死後の生活という概念を持っていただけでなく、死と復活との中間的な場所についても正しい概念を持っていたと言えます。




第25章16節

16節 これはイシマエルの子らであり、村と宿営とによる名であって、その氏族による十二人の君たちである。


 この後のヤコブから出た12氏族については、聖書中で度々出ますが、イシマエルから別の12氏族も出ていることが書かれています。また、聖書中には幾つかの部分でイシマエルの子らの名前の地が出てくるので、その子らの子孫が受け継いできた町である可能性があります(イザヤ第21章1〜7節)。




第25章21節

21節 イサクは妻が子を産まなかったので、妻のために主に祈り願った。主はその願いを聞かれ、妻リベカはみごもった。


 創世記では史的な記録が極めて簡潔に記載されているために、時間的な長さが圧縮される傾向にあります。ここにはリベカが子を産まなかったことについて簡単に記載されていますが、当時の人々が子を産むことは極めて重要だと考えていた点や、彼らには20年の間子がなかったことなどを考えた場合、イサクのリベカに対する愛の深さがよくわかります。




第25章22〜23節

22節 ところがその子らが胎内で押し合ったので、リベカは言った、「こんなことでは、わたしはどうなるのでしょう」。彼女は行って主に尋ねた。
23節 「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」。




第25章27〜28節

27節 さてその子らは成長し、エサウは巧みな狩猟者となり、野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいた。
28節 イサクはシカの肉が好きだったので、エサウを愛したが、リベカはヤコブを愛した。


 「巧みな狩猟者」と表現されているエサウとは対照的に、ヤコブは「穏やかな人」と言われています。この「穏やかな人」という意味で使われているヘブライ語は、「健全な、欠点のない、完全な」という意味の語で、極めて積極的に評価している形容詞です。28節の「愛した」と言う語は、「気に入った、好んだ」という意味であって、イサクはエサウが気に入っていて、リベカはヤコブが気に入っていたということです。




第25章30節

30節 エサウはヤコブに言った、「わたしは飢え疲れた。お願いだ、赤いもの、その赤いものをわたしに食べさせてくれ」 彼が名をエドムと呼ばれたのはこのためである。


 エドムは「赤」という意味です。エサウの子孫であるエドム人は、旧約聖書の中で重要な役割を演じており、通常はイスラエルの民の敵として登場します。エドム人は死海紅海の間にあるセイル山の周辺に住んでいましたが、今でもエサウの子孫はアラブ諸国の中に存在しています。




第25章32節

32節 エサウは言った、「わたしは死にそうだ。長子の特権などわたしに何になろう」。


 この箇所は、飢えていたというよりも特権を「軽視」したという点を重視して説明する必要があるように思われます。ヤコブとしては、27節にある通りエサウを気に入っていたので、エサウの生命が危険にさらされているとしたら、いつでも喜んで助けるつもりでいたことは、ほとんど疑いの余地はないものと判断できます。まず、ここの記述で重要なことは、エサウが生得権を軽視していたということを示していると思われ、エサウにとっては肉体的な欲求満たすことのほうが、契約の権利よりも重要視したことです。彼のこうした態度はカナン人の女性との結婚にも表れていて、これも契約の系譜を破るものでした。(創世記26章34〜35節)

 生得権そのものは、極めて大切に扱わなければならないものだったので、最も求めるに値する生得権の祝福とは、神の権能を管理するもの、すなわち鍵であると考えられています。昔の族長制度のもとでは、ある特別な祝福、権利、権能、特権といったものはまとめて生得権と呼ばれていたようです(創世記43章33節)。その後の時代では、特別な祝福や権限は、それを受けた人の子孫なら、ふさわしくさえあればすべての人に与えられていたと考えられています。こうした制度が行われる説明は、主に優先的に与えられる祝福を受け継ぐように定められた系譜に生まれてきた人々が、前世において十分な準備と訓練を受けてきたのではないかと思われます。

 族長制度のもとでは、この生得権は普通長子に受け継がれますが、エサウの場合はそうではない例になっています。この聖句の重要さは、義しい生活をするということが、長子として生まれることよりも重要であるということを意味しています。



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