創世記 第27〜29章研究解読



第27章34〜46節
第28章10〜12節
第29章12節 第29章17節 第29章33節〜第30章24節



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1999/ 1/30  第28章10〜12節 UP
1999/ 1/25  第29章33節〜第30章24節 UP
1999/ 1/22  第29章12節、17節 UP
1999/ 1/ 7  序文、第27章34〜46節 UP


 ヤコブが母親の助けを受けてイサクから生得権の祝福を得た物語は、多くの点で難しい問題です。
 最近の信頼すべき書物に目を開く事のない注解者の見解は、大体ふたつの結論になり、それはエサウが生得権を受け継ぐにはふさわしくないことを強調して、その結果ヤコブが欺いたことを正当化する説と、ヤコブがずる賢い性格を持っていたとする説とに別れているようです。しかし、神の律法についてもっと深い知識を持って研究すると、さらに幾つかの疑問が出てきます。人は族長を欺いて、他人に与えられるはずの祝福を神から受け取ることができるのでしょうか?。ヤコブはうそつきで悪賢い人物だったのでしょうか?。イサクはただ盲目的に特定の子供だけに好意を持っていたのでしょうか?。人は不誠実でありながら、正当な族長の祝福を受ける事ができるのでしょうか?。神の神性を考えた場合、決してそうではないことに気がつくはずです。

 まず、リベカはヤコブが契約の子となることを、個人的に知っていました(創世記25章22〜23節)。ヤコブはこれを不本意ながらも母の申し出に応じていましたが、それはリベカがこれからすることについては、自分が全面的に責任を負うと言ったからです。

 初期の族長やその妻たちは、偉大な義人であり、最終的には神の栄光を受けましたが、だからといってそのような人々がこの世にある間、あらゆる面で完全であったということにはなりません。この物語が、創世記に書かれてある通りだとしたら、イサクはヤコブをひいきするという点では近視的見方だったといえます。あるいは、リベカの方にも、神自身がそのみこころを果たしてくれるという信仰に少し不十分であったかもしれません。だからこそ約束された祝福が確実に実現するように、自分で立てた計画を実行に移したというわけです。しかし、こうした不十分な点があったとしても、それは後に偉大になったことや、最終的に栄光を受けた事にまで影を落しているわけでもありません。

 祝福を受けた状況についての説明が何であれ、神の権能を使う者には、地上で行うその行為を天においても有効とする力が与えられています(マタイ16章19節)。ということは、イサクが自分は騙されたと知った時には祝福を取り消して、エサウに与えることもできたはずです。しかし、イサクはエサウに「ゆえに彼が祝福を得るだろう」(創世記27章33節)と言っています。その後、ヤコブがエサウの怒りから逃れるためにパダンアラムに行こうと準備をしている時に、イサクはヤコブにアブラハムの祝福を与えました(創世記28章3節)。実はこれもヤコブに用意された祝福を受けただけであって、イサクはこれを再確認したという証拠であるわけです。

 つまり、創世記の記録が現在のままで正しいとすれば、ヤコブはほかの人々と同様に、召しとそれを果たした時の祝福の約束を受けたのであって、これはヤコブの隠れた能力や弱点を承知の上でのことだといえます。それゆえに、ヤコブも普通の人の例にもれず、約束された祝福を受けるために、ふさわしい生活を送らなければ祝福は受けられないということです。




第27章34〜46節

34節 エサウは父の言葉を聞いた時、大声をあげ、激しく叫んで、父に言った、「父よ、わたしを、わたしをも祝福してください」。
35節 イサクは言った、「あなたの弟が偽ってやってきて、あなたの祝福を奪ってしまった」。
36節 エサウは言った、「よくもヤコブと名づけたものだ。彼は二度までもわたしをおしのけた。さきにはわたしの長子の特権を奪い、こんどはわたしの祝福を奪った」。また言った、「あなたはわたしのために祝福を残しておかれませんでしたか」。
37節 イサクは答えてエサウに言った、「わたしは彼をあなたの主人とし、兄弟たちを皆しもべとして彼に与え、また穀物とぶどう酒を彼に授けた。わが子よ、今となっては、あなたのために何ができようか」。
38節 エサウは父に言った、「父よ、あなたの祝福はただ一つだけですか。父よ、わたしを、わたしをも祝福してください」。エサウは声をあげて泣いた。
39節 父イサクは答えて彼に言った、「あなたのすみかは地の肥えた所から離れ、また上なる天の露から離れるであろう。
40節 あなたはつるぎをもって世を渡り、あなたの弟に仕えるであろう。しかし、あなたが勇み立つ時、首から、そのくびきを振り落とすであろう」。
41節 こうしてエサウは父がヤコブに与えた祝福のゆえにヤコブを憎んだ。エサウは心の内で言った、「父の喪の日も遠くはないであろう。その時、弟ヤコブを殺そう」。
42節 しかしリベカは長子エサウのこの言葉を人づてに聞いたので、人をやり、弟ヤコブを呼んで言った、「兄エサウはあなたを殺そうと考えて、みずから慰めています。
43節 子よ、今わたしの言葉に従って、すぐハランにいるわたしの兄ラバンのもとにのがれ、
44節 あなたの兄の怒りが解けるまで、しばらく彼の所にいなさい。
45節 兄の憤りが解けて、あなたのした事を兄が忘れるようになったならば、わたしは人をやって、あなたをそこから迎えましょう。どうして、わたしは一日のうちにあなたがたふたりを失ってよいでしょうか」。
46節 リベカはイサクに言った、「わたしはヘテびととの娘どものことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブがこの地のあの娘どものようなヘテびとの娘を妻にめとるなら、わたしは生きていて、何になりましょう」。


 40節によると、エサウも祝福を受けていることがわかります。それは父の恵みを受けて、また敵対者のくびきを振り払う力が与えられました。しかし、人のほとんどがそうであるように、エサウも一度失ったものの重大さに気がつき、ヤコブに生得権を売り渡してしまった日のことを後悔しました。エサウは生得権に伴なう祝福がヤコブの頭上にはっきりと確認されるのを見た時に、残酷にも弟を殺す事によって復讐を果たそうとしています。その権利は、彼がつまらないものとの交換で売り渡してしまったものでした。そこで機転のきいたリベカは、殺害と創世記9章6節の律法による処刑によって2人の息子を同時に失ってしまう二重の悲劇を防いだのでした。

 母親リベカがヤコブに行けと言ったのは、自分の故国で適切な妻が探し出せるようにとイサクに提案した結果であると考えています。リベカは、エサウの気持ちが収まるまでヤコブに危害が当たらない様に、ヤコブを遠くに行かせる画策をします。適切な妻を探し出すためにヤコブを送り出そうというリベカの申し出は、直ちにイサクの承認するところとなりました。リベカの言うように、もしヤコブがエサウのような結婚をしたら、自分たちの生涯の使命が果たせなくなることがイサクにもわかっていたからと思われます。




第28章10〜12節

10節 さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、
11節 一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。
12節 時に彼は夢を見た。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使いたちがそれを上り下りしているのを見た。


 ヤコブがベエルシバを立ってハランに向かった時に、彼は夢を見ています。1つの梯子のそばに自分がいて、その梯子が天にまで達していて、その上に神が立っており、彼は神の使いたちがそれを上り下りしているのを見ました。ヤコブは、夢の中で神と交わした契約とは梯子の横木のことであって、彼が天で神と共に住むという約束の祝福にあずかるためには、自分もその天使たちと同じように梯子を上っていかなくてはならないと悟ったようです。彼はそこで神と契約をしたので、その場所を非常に神聖に思ってベテ・エロヒムを縮小して「ベテル」と名づけました。その意味は、文字通り『主の宮居』です。そこでヤコブは、「・・・これは神の家である。天の門だ」(17節)と言いました。この「天の門」とは、神殿という意味も含まれると考えられます。




第29章12節

12節 ヤコブはラケルに、自分がラケルの父のおいであり、リベカの子であることを告げたので、彼女は走って行って父に話した。


 この箇所から、アブラハム、イサク、ヤコブという族長たちがそれぞれ親族と結婚をしていることがわかります。アブラハムはめいのサラと結婚し、イサクはいとこの娘と結婚し、ヤコブもいとこのレアとラケルと結婚しています。




第29章17節

17節 レアは目が弱かったが、ラケルは美しくて愛らしかった。


 「目が弱い」と翻訳されているヘブライ語は、「柔らかい、繊細な、あるいは愛らしい」という意味です。レアはこの特徴だけが強調されていますが、ラケルは「美しくて愛らしかった」と書かれていて、これはラケルがあらゆる面で美しかったということです。結局この部分は、レアについては目が最も特徴的な部分だったと言っていると思われます。




第29章31節

31節 主はレアが嫌われるのを見て、その胎を開かれたが、ラケルは、みごもらなかった。


 ヘブライ語のsahnayという語は、現在使われているような「嫌う」という意味ではなく、「それほど愛されていない」という意味合いで使用されていると思われます。この部分を改訂するならば、「主はレアがそれ程愛されず、気に入られてないのを見て」その胎を開かれた、となります。




第29章32節〜第30章24節


 この部分は、ヤコブに産まれた子供一人一人に両親の気持ちを反映した名前が付けられた次第が明らかにされています。ヤコブの妻たちの間には異常なまでの競争心が存在しおり、夫のために男の子を産むということは大きな名誉となっています。ラケルは晩年まで子供をもうけることが出来なかった事に、明らかに悲しみを感じています。ようやくのことで息子が産まれた時、ラケルのつけた名前は、息子に寄せる気持ちと、将来にかける期待とを暗に示しています。


イスラエルの子供

母親 名前 意味 名前の由来
レア ルベン 息子を見よ 主がわたしを悩みを顧みられたから、今は夫もわたしを愛するだろう
レア シメオン 聞く 主はわたしが嫌われるのをお聞きになって、わたしにこの子ををも賜った。
レア レビ 結んだ わたしは彼に三人の子を産んだから、こんどこそは夫もわたしに親しむだろう。
レア ユダ 賛美 わたしは今、主をほめたたえる。
ビルハ ダン 裁き 神はわたしの訴えに答え、またわたしの声を聞いて、わたしに子を賜った。
ビルハ ナフタリ 争い わたしは激しい争いで、姉と争って勝った。
ジルパ ガド 幸運 幸運が来た。
ジルパ わがしあわせ わたしは、しあわせです。娘たちはわたしをしあわせな者と言うでしょう。
レア イッサカル わたしがつかえめを夫に与えたから、神がわたしにその価を賜ったのです。
レア ゼブルン 住む 神はわたしに良い賜物をたまわった。わたしは六人の子を夫に産んだから、今こそ彼はわたしと一緒に住むでしょう。
ラケル ヨセフ 加える 神はわたしの恥をすすいでくださった。主がわたしに、なおひとりの子を加えられるように。
ラケル ベニヤミン わが右手の子 あなたはわたしの右手の子である。



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